主体性

某所にて,私が今まで正しいと信じて行ってきた行動様式に関し 「そのようなことをする者は愚かである」 という旨の発言がなされた.
私はこの発言に疑義を抱いた.その様式は,私が信じるのみならず,確か偉い人の本にも推奨されていた (ちょっとうろ覚え) ためである.このような場合,通常はその場にて反論するのが 「筋」 であるが,その場は (主にその人の発言により) 既にかなり 「荒れて」 いたため,私はこれを思いとどまった.代わりに,そのような様式に明るい友人に電子メールにて質問することを考えた.とはいえ,私は場を荒らすような人間の発言をまともに受け取るほど愚かではないから, 「念のため & いい機会なのでついでに質問」 といったつもりである.
しかし,その前にすこし 「ようすをみる」 行動を行ったところ, 「愚かとはいえませんよ」 と私の味方になる発言がなされた.その後も 「それは好みの問題であり,正解は存在しない」 などの礼儀正しい発言がなされ,それに対し冒頭の人物は人々の感情を逆なでするようなやり方で,感情的な議論をふっかけるばかり (いわゆる 「あおり」 行為) であった.私はこれを見て,メールによる質問を取りやめた.


このエピソードは,私という人間の主体性を多く物語るものではないかと思う.